この日は近場の神ノ倉山と荒谷山に行く。
どちらも車で山頂付近まで行くことができる山なのだが、なぜ行こうと思ったかというと、情けないことにオジサンの年齢になってから初めて知ったのだが、最近になって付加体というものを知ったからなのだ。
神ノ倉山と荒谷山に行けば、どうやらペルム紀の付加体を見ることができるようなので、今回は「そうした目」でこれらの山を回ってみることにした次第。
まず安芸高田市向原町を経由して神ノ倉公園への道を進む。

神ノ倉山に行くのは10数年ぶりだが、様変わりしていたのにまず驚く。
綺麗な駐車場が出来ていたのと、入場が有料(無人管理ではあるが)になっている。神ノ倉公園が有料化された経緯はこちらを参照頂きたいが、とにかく主旨には大いに賛同するところなので、券売機で入場券(500円)を買う。

駐車場付近で目立つのは花崗岩
約8,000~9,000万年前の白亜紀後期、日本列島(というより後に日本列島になる陸地)がアジア大陸の東縁にあった頃、地下深くでマグマが冷えて生成されたもの。
それにしても個人の所有・整備で、ここまでするのは凄いとしか言いようがなく、頭が下がる。
まず、真っ直ぐに山頂に行ってみる。曇り空だが、とりあえず周囲の展望を見てみよう。
天気があまりよくないので、こんな感じの眺めしか見えない。
井原地区の、三篠川と並行する県道37号線が良く見える。そして山裾に沿うように芸備線が通っている。
この山の手前は安芸高田市、山の向こうは三次市となる。
この山は流紋岩の山。付近の流紋岩は前出の花崗岩とほぼ同時期の白亜紀後期、激しいカルデラ噴火による火砕流や火山灰の噴出にて生成された溶結凝灰岩が主体。
これも日本列島の前身となる陸地が、大陸の東縁にあった頃の産物で、白亜紀後期のこの辺りは巨大カルデラ噴火の中心地であったということ。
こちらも流紋岩の山。花崗岩主体の南部とは違い、広島県の北部一帯は流紋岩の地質が広がっている。
広島花崗岩、つまりは白亜紀後期の山陽帯の花崗岩ということ。
三篠川をはさんで向かい合う位置関係で、この山も付加体と花崗岩で構成されている。
砂岩の変成岩と思われるが、ペルム紀の海底に堆積した砂がプレート上で運ばれ、ユーラシアプレートの下に沈み込む際に削ぎ落されて付加体となったもの。
一般的には何の変哲もない路傍の石に過ぎないが”2億5,000万年前の砂の化石”といえば少しはロマンチックに聞こえるかな?
右隣の黒っぽい石は明らかに堆積岩ではない。
中腹あたりで観察したら、麓まで下って林道沿いの露頭を観察
花崗岩が貫入してくる前に、元々ここにあった地層ということになる。
AIによると、ペルム紀の海底火山や海山由来の玄武岩などが、沈み込み帯の深い場所で低温高圧の変成を受け、緑泥石(りょくでいせき)などの緑色鉱物に変化したものらしい。
AIは間違うことも多々あるのは事実だが、素人の私よりは詳しい筈だ。
海洋地殻を構成していた火成岩(玄武岩など)が変成を受けて緑色になったもの。
AIによると、緑色の正体は変成作用による鉱物変化で、露頭全体に見える青緑色〜暗緑色は、岩石が地下深くで熱と圧力を受けた際、元の成分が緑泥石(りょくでいせき)や緑簾石(りょくれんせき)、アクチノ閃石といった緑色の鉱物に置き換わったためとのこと。
これらは蓮華帯や超丹波帯(あるいはそれに伴う付加体)に見られる典型的な「低温高圧型」あるいは「広域」変成岩の特徴とのこと。
多くの亀裂が入っているのは、この場所が構造線(断層)に近く、強い地殻変動のストレスを受けたことを示唆しているとも。
神ノ倉山は、麓(この露頭付近)はかつての海洋底火山の名残である緑色岩。中腹は海洋底に積もった泥や砂が押しつぶされた泥質〜砂質片岩(超丹波帯・蓮華帯)。そして、それらを突き破って貫入した花崗岩。という構成。
AIはしばしば間違うので、その点留意しつつも、2億5,000万年以上前の付加体を実際に見たのは良い経験だった。
















