体力に全く自信が無い昨今、楽ちんに登れる山を・・・と思案して向かったのは呉市の倉橋島にある火山(ひやま)。
倉橋島の火山は、火山ではないが花崗岩の山(というか倉橋島自体がほぼ花崗岩の島)で、山頂や山腹に巨大な花崗岩の岩塊を見ることができる。
途中、音戸大橋を渡ってすぐの所にある前から気になっていたうどん屋で”イリコ油の肉うどん”を食べ、コンビニでペットボトルのお茶を調達すると火山の駐車場に向かう。
ここから火山山頂へのアプローチだと、麓の桂浜あたりからと比べるとかなり距離が短くなる。
私のような横着+時短を好む者には”うってつけ”というわけだ。
火山と後火山の鞍部に駐車場があり、どちらの山にもここからアクセスできる。
そして駐車場の先には瀬戸内海の景色が広がっている。
鹿島は呉市の島で、広島県の最南端にあたる。
鹿島大橋は倉橋島から陸系島の鹿老渡を経由して鹿島を結んでいる。
このような階段の急登から始まる。
手軽に山頂に行ける仕様の為か、明らかに登山装備ではない人も大勢いる。
樹木が助長し、以前より若干見えづらくなっている気がする。
火山は名前に反してVolcanoではなく、花崗岩の山で、このような巨大な花崗岩が山腹のいたる所に露出している。
私が今いる倉橋島と左に見える江田島を結んでいる。
火山よりマイナーなのだが、後火山の方が標高が高い(455m)。
この岩の上が火山の最高地点ということになる。
やや危ないのと高所恐怖症の人には厳しいと思われるので、無理は禁物。
奥に見えるのはは左から中島・怒和島・津和地島。これらの島々はいずれも愛媛県になる。
「四国の山なんか見えない」と仰る方は心の目で見ていただきたい。おそらく高縄半島の山々でしょう。
動画も置いておく
白亜紀後期(9,000万年前~)、当時は大陸の東端付近にあった西日本では大規模な火山活動が起こり、マグマが激しく噴出して地表に積み重なり、高田流紋岩(主に火砕流堆積物)を形成。
その後、同じマグマの残りが地中でゆっくり冷えて広島花崗岩になったというプロセスを経て、この時作られた硬い花崗岩が、その後の地殻変動で地表に現れ、風化に耐えて現在の倉橋島や厳島(いわゆる宮島)や瀬戸内海の多島美、あるいは中国山地のなだらかな地形を作り出した。
山頂からの展望を堪能したら、駐車場に戻り音戸大橋経由で帰ることとする。
これは珍しい螺旋の高架橋がある橋。
これが出来て以降、グルグル回らなくても倉橋に行けるようになった。
下記抜粋
音戸大橋
Ondo Bridge平清盛が厳島神社への参拝のために開削したとされる音戸の瀬戸は、その潮流の激しさと海峡の狭さにもかかわらず、瀬戸内海の重要な航路となっています。
音戸大橋は、この瀬戸を挟む呉市と倉橋島の交通需要の増大に伴い、総工費3億6200万円の架橋工事により、昭和36年(1961年)12月3日に開通しました。
倉橋島側の用地の狭さと、1000トン級の大型船舶の航行という二つの条件を克服するため、呉市側をループ式道路、倉橋島側を螺旋型高架橋という世界的にも珍しい橋となっています。
建設当初は有料道路でしたが、交通量の増大により、予想以上のペースで建設費の償還が終了し、昭和49年(1974年)に無料化されました。
また、さらなる交通の増大による慢性的な渋滞に対応するため、「警固屋音戸バイパス」が建設されることとなりました。平成25年(2013年)完成の全長492mの第二の真紅のアーチ橋は、美しい瀬戸の景観をさらに引き立ててくれています。呉市
平清盛が開削したというのは当時の技術的にみて創作だとは思うが、そういう伝説も話としては面白い。
















