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功山寺

まめに寺社巡りをするほどの普段の心がけを持ち合せていない私だが、史跡や幕末の志士の足跡を訪ねることには興味がある。

そんな訳で山口県下関市の功山寺。
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功山寺(こうざんじ)
山口県下関市長府にある曹洞宗の寺。長府毛利家の菩提寺。山号は金山(きんざん)。中国三十三観音霊場第十九番札所、山陽花の寺二十四か寺第九番。
仏殿は、善福院釈迦堂とともに鎌倉時代の禅宗様建築を代表するもので、国宝に指定されている。

下関でも長府地区にある。
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戦国時代には、大内氏最後の当主・大内義長が、毛利元就に敗れて自刃したのもここ功山寺であることは、私も心得ている。

国宝の仏殿
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長い歴史を感じさせる建物の雰囲気だ。

これは法堂という
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しかし、ここに来た理由は、高杉晋作にゆかりがある場所で、歴史上重要な事件の舞台だからなのだ。
高杉以下長州藩の有志たちがここで決起したことから、時代は討幕・明治維新へと
進んでいく。

高杉晋作・回天義挙像
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回天義挙

功山寺挙兵とも。
元治元年12月15日(1865年1月12日)に高杉晋作が長州藩俗論派打倒のために功山寺で起こしたクーデター。
禁門の変により長州藩は朝敵となり、幕府による第一次長州征伐が行われ、三家老(国司親相・益田親施・福原元僴)が切腹。
藩政の実権は幕府寄りの椋梨藤太ら俗論派が握ることとなった。
俗論派は長州正義派に対して厳しく粛清を行い、周布政之助を切腹に追い込み、井上聞多を襲撃し重傷を負わせる。
こうした俗論派の動きに危機感を募らせた高杉は挙兵を決意。
高杉の檄に応じて力士隊・遊撃隊の84名が功山寺に集結、下関新地会所を襲撃し占拠。次いで三田尻の海軍局で軍艦3隻を奪取。
やがて奇兵隊他、藩の諸隊を加えた高杉軍は勢いを増し、太田・絵堂の戦いで藩の正規軍を破るに至る。
以後、椋梨藤太ら藩内の俗論派は一掃され、長州藩は討幕へと進んでいくことになる。

高杉晋作が注目されるが、彼に従って立ちあがった武士ではない民衆の勇気と志に深い感銘を受ける。
吉田松陰先生の唱えた草莽崛起(そうもうくっき)が、まさに結実したという意味で非常に価値がある。

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