先週からの天気予報通り、とても良い天気の日曜になった。
折角の好天を最大限有効活用したいので、山に行くことに決めたものの、肝心のどこの山に行くのかを決めあぐねた。
ガイドブックやインターネットで情報収集しながら、最終的に決めたのは倉橋島にある火山(ひやま)。
県北あたりのスキー場は先週も新たな積雪があったと聞くし、県北の山々はまだ冬景色に違いないが、さすがに”瀬戸内海の島はもう寒くはないだろう”というのが、倉橋を選んだ決め手なのだった。
音戸大橋
今では隣に新しい第二大橋が掛っているが、私はまだ新しい方の橋を渡ったことがない。
つまりは私が第二大橋が出来て以降、江田島や能美島に行っていないということ。
他県の方々の為に補足すると、呉(本土)から音戸大橋(あるいは第二音戸大橋)を渡ると倉橋島。倉橋島からさらに早瀬大橋を渡ると東能美島。さらに江田島と西能美島は東能美島から地続きなので陸路で行くことができる。
江田島・東能美島・西能美島は今でこそ陸続きだが、その昔は江田島は独立した島で、飛渡瀬(ひとのせ=今も地名としては存在する)という狭い海峡で能美島と隔てられていたという。
話を戻す。
倉橋島に渡り、国道487号線・県道35号線を進んで、宇和木トンネルを抜けた先から右に入り旧道を宇和木方面に戻る形で進む。
倉橋島についてはこちらも参考にしていただくとわかりやすくなると思う。
火山展望駐車場
ここの駐車場はトイレや東屋などが整備されていて、利用者に対してとても親切な感じ。
ちなみに”火山”という名は、噴煙や火砕流を撒き散らす類の山ではなくて、戦国時代に狼煙台があったことに由来するそうな。
後火山
一般的には火山よりマイナーな筈の後火山の方が標高は高いらしい(456m)。
後火山への登山道に見える東屋
視界の良い道は遮るものが無いので、登山道を行く人の姿がよくわかる。
私は火山への道を行く
天気も良く、視界も開けて気持ちの良い道だ。
やがて、頂上近くの”わらい岩”が正面に見える展望の良い岩場に出て、東能美島や早瀬大橋が視界に入ってくる。
余談だが、早瀬大橋が1973年に完成し江田島と能美島は離島と呼べなくなった。
先んじて1961年に音戸大橋が出来た後、早瀬瀬戸への架橋を求めて江田島の住民による「10円募金運動」が始まり、やがて当時の金額で300万円!にも達したそうな。
やがてこの運動は実を結び、行政(県)を動かして早瀬大橋は完成に至った。
広島カープ創設時や新球場建設時もそうだが、郷土の先輩方のなけなしの金をはたいてまでの熱意を広島県民として誇りに思う。
カシミール画像を
遠方が霞んでいなければ、こんな感じに見えるらしい。
12:20 火山(408m)山頂到着。
沢山の巨岩が鎮座する山頂は、思っていたより狭くて、大勢の中高年登山者で混雑気味だった。
南側の本浦の市街地。
音戸大橋が出来た(1961年)以降も、宇和木トンネルが出来る(1996年)まで、難所の宇和木峠を経由していた頃は、倉橋は所用時間のかかるとても遠い所だったようだ。
南東方向を見た図
中央に鹿老渡(かろうと)という陸繋島、その右手に鹿老渡と鹿島大橋で繋がる広島県最南端の鹿島、その後方うっすらだが愛媛県の忽那諸島が見える。
カシミール
霞んでいなければ忽那諸島の向こうに中予の山々が見える筈なのらしい。
鹿島大橋
鹿島大橋で繋がる鹿島は広島県最南端にある有人島で、本土とも陸路で繋がっている島なのだが、とても遠い所なので私もまだ行ったことがない。
13:48 火山展望駐車場に戻る
後火山にも行きたかったのだが、次の楽しみとしておく。
桂ヶ浜
サーフボードに立ちオールで漕いで進む、後で調べたところでは”スタンドアップパドル・サーフィン”というらしいが、20代くらいの男女グループが歓声を上げながら、ぎこちない操作で楽しんでいた。
世の中にはイロイロな遊びがあるものだ。
15:02 音戸の瀬戸
久々の山行だったが、素晴らしい景色を見ることができ、島嶼部の標高の低い山だが、なかなか面白くて堪能できた。